長距離ランニング中のペース変化と瞬時心拍数変動

Wednesday, 9月 7, 2011



長距離ランニング中のペース変化と瞬時心拍数変動





山崎 健1)、馬場裕子2)、ソリタラト3)、岡本芳三4)




1.はじめに



中強度以下の運動の継続的実施にともない酸素需要量は増大し、循環系では一回心拍出量の増加とともに心拍数の増加が見られることは良く知られている。山崎ら4)は、10Kmのランニング中に、1拍ごとの間隔(心電図のR棘‐R棘間隔)を記録できる瞬時心拍メモリーを用いて、走運動時の1拍ごとの変動を検討した。そして、同一ペースの走行(1Kmあたり6分)で平均心拍数もほぼ150拍/分で推移をして
いるにもかかわらず、交感神経及び副交感神経活動を反映するとされるLF(0.04-0.15Hz)成分、副交感神経活動を反映するとされるHF(0.15-0.4Hz)成分、交感神経活動を反映するとされるLF/HF比が、10分毎に微妙に変動していることを明らかにした。

この心拍数の瞬時的変動は、1981年にAkselrodら1)が、高速フーリエ変換(FFT)によるイヌの心拍変動の定量的パワースペクトル解析を初めて行い、その後ヒトにおいても0.1Hz付近に血圧反射性の、0.3Hz付近に呼吸反射性の成分がみられ自律神経系の影響を受けていることが指摘されている。



1)新潟大学教育人間科学部

2)新潟大学大学院自然科学研究科

3)新潟大学教育学研究科

4)茨城工業高等専門学校



早野3)は、心拍変動による心臓自律神経活動評価の原理を、交感神経系を車のアクセルに、副交感神経をブレーキにたとえ、その周波数特性による伝達速度について、交感神経よる心拍数調節は0.15Hz以上(周期6.7秒)かかるとし、心臓迷走神経(副交感神経)による心拍数調節は1Hz前後と伝達が速いことを指摘した。

このことは、長距離レース中における急激なペース変化に対する生体応答が、ペースアップ時とペースダウン時では異なる可能性を示すものである。本研究では、この長距離ランニング中のペース変化と瞬時心拍変動に関する基礎的知見を得るため、周波数スペクトル解析の手法ももちいてそのメカニズムの一端を検討しようとするものである。



 




2.方 法



被験者は、新潟大学学友会陸上競技部に属する健康な男子長距離選手8名であり、5000m走タイムは15‘00“から17’30”である。

走路は新潟大学陸上競技場400mトラックであり、実験のプロトコールを図1に示す。





図1 実験プロトコールとペースの変化



被験者は、800mの軽いウォーミングアップ後、スタート位置で9分30秒間の座位安静からスタート30秒前に立ち上がり、400m毎に、110秒-110秒-100秒-100秒-90秒-90秒とペースを上げ、2400mからは100秒-100秒-110秒-110秒とペースダウンした後、再び4000mから100秒-100秒-90秒-90秒として、最後の1周は「全速で走るよう」指示をした。
最後の1周は、1名をのぞき56秒から61秒であった。



瞬時心拍(R-R間隔)は、腕時計型ハートレートメモリ(Polar社S810ⅰ)を用い、胸部電極ベルトに着装したトランスミッターから腕時計型受信部へ無線送信した。

ハートレートメモリのデータは、インターフェイスを介してパーソナルコンピュータに転送し、解析用ソフトウェア(Polar社 Precision Performance 4.0)を用いて高速フーリエ変換(FFT)を行い、交感神経及び副交感神経活動を反映するとされるLF(0.04-0.15Hz)成分、副交感神経活動を反映するとされるHF(0.15-0.4Hz)成分及び交感神経活動を反映するとされるLF/HF比を求めた。

瞬時心拍スペクトルは、1)6000mランニング中の各400m区間、2)各400mラップ(スタート地点通過)前30秒とそれまでの経過時間(各400m区間の最後の30秒間を除いたもの)、を求めた。



 




3.結果及び考察



(1)6000mランニング中の各400m区間の瞬時心拍スペクトル変動



各被験者別の各400m区間の平均心拍数と瞬時心拍数変動(Instantaneous HeartRate Variation:IHRV)及び瞬時心拍スペ
クトル解析の結果を図2-17に示す。

平均心拍数は一分間換算値(bpm)、交感神経系活動と副交感神経系活動の両者を反映するとされるLF成分及び副交感神経系活動を反映するとされるHF成分は出現頻度時間パワー(ms2)、交感神経系活動を反映するとされるLF/HF比は%で示してある。





図2 6000mランニング中の瞬時心拍数の変化(Sub.A)





図3 6000mランニング中の400m毎の心拍数と瞬時心拍スペクトル成分(Sub.A)





図4 6000mランニング中の瞬時心拍数の変化(Sub.B)






図5 6000mランニング中の400m毎の心拍数と瞬時心拍スペクトル成分(Sub.B)










図6 6000mランニング中の瞬時心拍数の変化(Sub.C)










図7 6000mランニング中の400m毎の心拍数と瞬時心拍スペクトル成分(Sub.C)










図8 6000mランニング中の瞬時心拍数の変化(Sub.D)










図9 6000mランニング中の400m毎の心拍数と瞬時心拍スペクトル成分(Sub.D)










図10 6000mランニング中の瞬時心拍数の変化(Sub.E)










図11 6000mランニング中の400m毎の心拍数と瞬時心拍スペクトル成分(Sub.E)










図12 6000mランニング中の瞬時心拍数の変化(Sub.F)










図13 6000mランニング中の400m毎の心拍数と瞬時心拍スペクトル成分(Sub.F)










図14 6000mランニング中の瞬時心拍数の変化(Sub.G)










図15 6000mランニング中の400m毎の心拍数と瞬時心拍スペクトル成分(Sub.G)










図16 6000mランニング中の瞬時心拍数の変化(Sub.H)









図17 6000mランニング中の400m毎の心拍数と瞬時心拍スペクトル成分(Sub.H)



全被験者において、平均心拍数がほぼ同じ同一ペースの区間であっても、LF成分、HF成分、LF/HF比はそれ以上に変動していることがわかる。

渡辺7)は、動的運動時の交感神経系活動の亢進は、乳酸の生成による化学受容性影響ではなく、血圧受容性の影響を受け心拍数100拍/分前後から起こることを指摘している。

被験者B(図5)及び被験者G(図15)は、全体的にHF成分がLF成分よりも相対的に優位であり、運動中も副交感神経系活動の影響下にあることが考えられる。これに対して他の被験者は、相対的にLF成分が優位であり、副交感神経系活動に加えて交感神経系活動も同時に関与しているものと考えられる。

副交感神経系の活動を反映すると考えられるHF成分は、概ねペースアップに対応して減少しペースダウンに対応して増加している傾向にある。

しかし、興味深いことに、交感神経系活動を反映すると考えられているLF/HF比は、2回のペースアップ後の2800~3200m区間で上昇する例が多くみられ、各被験者からは「ペースダウンの感覚がわからず走りにくい」との内省報告が得られた。

また、被験者A(図3)、被験者B(図5)、被験者D(図9)ではHF成分の減少もみられ、この3名はペースダウンが上手くいかず前周回に比べ2秒程度(指示は10秒)しか遅くなっておらず、平均心拍数もほとんど減少していない。

また、最後の5600~6000mの全速疾走区間では、4例の被験者(図3、図9、図13、図15)で顕著なスペクトル量の増大がみられ、被験者Dと被験者Eの5200~5600m区間でもスペクトルが増大しているようにみえるが、瞬時心拍変動のデータ(例えば図2、図8、図10など)の該当区間に計測エラーと思われるピーク成分が散見されていることとの関連も考えられる。

一方、計測エラーに関連したピーク成分のみられない被験者B(図5)、被験者F(図13)でもHF成分の増加がみられている。これは、最後の急激なペースアップにより呼吸活動の亢進をまねき、中村3)の指摘するような呼吸性不整脈によるHF成分の心拍ゆらぎの増加に関連している可能性も考えら
れる。

しかし、5600m区間までの比較的余裕のある走速度では、通常呼吸数はピッチに対応してほぼ一定であるが、通常の呼吸パターンと異なり、例えばピッチ180歩/分で「呼・呼・吸・吸」の浅い変則の呼吸シリーズとして約45回/分(0.67Hz)となっている場合もある。早野は、浅い呼吸の反復は、呼吸中枢からの干渉により心臓迷走神経が抑制され、HF成分が抑制を受けている可能性も指摘する。

山地6)らは、トレッドミル走行で、最大酸素摂取量の30%、50%、70%、90%、100%の5段階レベルでのスペクトル分析の結果から、LF成分、HF成分及びLF/HF比が90%レベルまでは漸減し、HF成分は90~100%レベルで有意な増加を示すことを報告した。本実験のHF成分がペースのアップダウンや心拍数の変動に対応して増減することはこれと同様の結果と考えられる。



(2)ペース変化区間前の瞬時心拍スペクト
ル変動



早野3)の指摘するように、交感神経の伝達速度が6.7秒程度とした場合に、ペースアップの意志が事前準備されていればペース変動にすばやく対応することが可能である。また、副交感神経の伝達速度が1秒程度であれば、ペースダウン直後に速やかに心拍数の減少が生ずるものと考えられる。



 





図18 ペース変化30秒前(矢印)の瞬時心拍スペクトルの変化(Sub.A)





図19 ペース変化30秒前(矢印)の瞬時心拍スペクトルの変化(Sub.B)






図20 ペース変化30秒前(矢印)の瞬時心拍スペクトルの変化(Sub.C)






図21 ペース変化30秒前(矢印)の瞬時心拍スペクトルの変化(Sub.D)






図22 ペース変化30秒前(矢印)の瞬時心拍スペクトルの変化(Sub.E)






図23 ペース変化30秒前(矢印)の瞬時心拍スペクトルの変化(Sub.F)






図24 ペース変化30秒前(矢印)の瞬時心拍スペクトルの変化(Sub.G)






図25 ペース変化30秒前(矢印)の瞬時心拍スペクトルの変化(Sub.H)



各被験者別の400m区間について、400m周回(ラップ)前の30秒とそれ以前の区間(例えば400m100秒の区間であれば、最後の120m30秒間とそれ以前の280m70秒間)の瞬時心拍スペクトルの経緯を示したものが図18-25である。

上向き矢印がついたスペクトルがペースアップ区間前30秒、下向き矢印がペースダウン区間前30秒である。

急激にペースアップする最終5600~6000m区間前の30秒間は、8名中5名に交感神経系の指標とされるLF/HF比の増加がみられたが、次の最速区間では逆に低下を示している。このうち、被験者A(図18)、被験者D(図21)、被験者G(図25)は、それ以前のラップ90秒区間へのペースアップ前後にも同様の傾向がみられた。

これに対して、増加がみられなかった被験者B、被験者C、被験者Hの3名は、最終区間で若干のLF/HF比の増加がみられた。この3名は、それまでのペースアップ区間前後でもペースアップ以降にLF/HF比の増加がみられており、同様の傾向がある。

また、ペースダウン後の区間にあってはいずれも顕著なHF成分の増加はみられていない。これは前述の「ペースダウンの感覚がわからず走りにくい」という内省報告と対応しているものと思われるが、更に詳細な検討が必要と考える。

山崎5)は、運動選手の心拍変動のパワースペクトル解析を行い、副交感神経系の活動を反映するHF成分が運動選手群の方が高く、安静時の副交感神経活動レベルが亢進していることを指摘した。また、早野4)は、運動によって生じたLF/HF比の増加が、日ごろから運動を行っている群が運動を実施していない対照群に比べて早く回復するとしている。

本実験での、被験者Gは、この時点で最もパフォーマンスが安定しており、同様のペース変化で行った、パフォーマンスの高い被験者では相対的にHF成分の優位がみられ、LF/HF比が100%以下であるとのデータ(板垣と山崎、2004:未発表)とも対応している。

このことは、トレーニングの継続的実施によるパフォーマンスの改善や持続的なコンディションレベルとの対応が、本実験のプロトコールでの瞬時心拍変動を分析することにより推定できる可能性を示している。



 




4.まとめ



長距離ランニング中のペース変化と瞬時心拍変動に関する基礎的知見を得るため、平均心拍数と瞬時心拍変動及び瞬時心拍スペクトル変動を検討し以下の結果を得た。



1. 長距離ランニング中のペースのアップダウンに対応して平均心拍数は変動するが、それ以上に瞬時心拍スペクトルは変動していた

2. 瞬時心拍スペクトルのHF成分は、ペースの上昇により減少し低下により増加する傾向がみられ、これは先行研究と一致する結果であった

3. 次区間がペースアップする30秒前から、予測性とみられるLF/HF比の変動がみられたが、LF・HF比が事前に低下する例と上昇する例がみられた

4. この傾向は、最終区間での急激なペースアップ時にもみられ、被験者個別の対応パターン(戦略)に依存している可能性が示唆された

5. 今後、同一被験者の継続的検討を行い、身体コンディションやパフォーマンス改善との対応を検討してゆくことが必要と思われる



 



本研究は、平成15~17年度文部科学省科学研究費「感性教育のためのリズミカル・ムーブメント・プログラムの開発(研究代表者:滝沢かほる)」の研究成果の一部である本研究の一部は、日本体育学会第56回大会(筑波大学:2005年11月)で発表した



 



<文献>
1. Akselrod S, et al.(1981): Power spectrum analysis of heart rate fluctuation: a quantitative probe of heart-to-beat cardiovascular control, Science 213, pp.220-222

2. 中村好男、心拍変動を用いた自律神経活動の評価法、加賀谷・中村編「運動と循環」、NAP、pp.93-106

3. 早野順一郎(1996)、心拍ゆらぎと自律神経、Therapeutic Research Vol.17(1)、pp.163-222

4. 山崎 健・杉本英夫・加名生さやか・馬場裕子(2005)、瞬時心拍変動による運動経過の記録、新潟大学教育人間科学部紀要 自然科学編 第7巻2号、pp.157-167

5. 山崎 元(1998)、スポーツ心臓と心拍の変化、竹宮隆・石河利寛編:運動適応の科学、杏林書院、pp.103-104

6. 山地啓司・梅野克梅・塚原勝行・川崎匠(1993),トレッドミル走における心拍変動のパワースペクトル解析,J.J.Sports Science 12(8)、pp.531-537

7. 渡辺裕志・佐藤徳太郎・中村隆一(1992)、運動における自律神経、臨床スポーツ医学 第9巻8号、pp.849-853